年 | 内容 |
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1938年(昭和13年) | 離島行政を円滑にするため石垣町字登野城に役場移転(分村してから25年目)。 新城島(上地島)の住民、西表島南風見に移住。 |
1939年(昭和14年) | 消防団結成される。 南風見開墾視察のため県議団大挙来島。 |
1941年(昭和16年) | 新城島(下地)より西表島南風見に移住、西表開発官民調査団来島(米英に対し宣戦布告)。 太平洋戦争ぼっ発する。 |
1945年(昭和20年) | 村行政を一時小浜島に移し、同8年終戦とともに石垣町所在の役場に移した。 太平洋戦争(沖縄戦)終わる(6月)。 |
1947年(昭和22年) | 黒島、竹富より移住し、由布部落を創設。 崎山部落廃村。 |
年 | 月日 | 内容 |
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1948年(昭和23年) | 7月2日 | 南部琉球(米軍)郡政府の許可により、竹富村は町に昇格。(当時の戸数1,746戸、人口9,387人)(町長、助役、収入役、事業課長、書記11名、技手2名、使丁1名計18名) 初代町長、与那国善三氏 |
10月11日 | 宮古島(下地町)より移住し、住吉部落を創設。 | |
12月31日 | 事業課を産業課に改称。 | |
1949年(昭和24年) | 4月1日 | 船浦集落創設。 |
1950年(昭和25年) | 9月11日 | 町長選挙、仲本信幸氏当選。(9月26日第2代町長就任) |
1951年(昭和26年) | 11月30日 | 町役所に庶務課、財務課を新設。 |
1952年(昭和27年) | 4月1日 | 琉球政府発足 |
4月1日 | 竹富区教育委員会事務局新設 | |
8月13日 | 政府の移民計画で132人(68戸)が仲間に移住し大富集落を創設。 | |
1953年(昭和28年) | 6月9日 | 211人41戸が南風見に移住し豊原部落を創設。 |
1954年(昭和29年) | 5月14日 | 38家族116人が計画移民として古見に入植。 |
9月10日 | 町長選挙、仲本信幸氏当選。(9月26日第3代町長就任) | |
1956年(昭和31年) | 3月19日 | 仲本信幸町長辞任。 |
4月2日 | 町長選挙、与那国修氏が無投票当選。(4月6日第4代町長就任) | |
6月15日 | 産業課を経済課に改称。 | |
12月11日 | 庶務課を総務課に改称。 | |
1957年(昭和32年) | 2月3日 | 竹富町総合開発基本方針作成。 |
1960年(昭和35年) | 3月18日 | 町長選挙、崎田永起氏当選。(4月6日第5代町長就任) |
1962年(昭和37年) | 4月25日 | 旧木造庁舎に替わる鉄筋コンクリート3階建庁舎落成。(石垣市大川101番地) |
7月1日 | 西表島東部・西部に町役所出張所を新設。 | |
1963年(昭和38年) | 7月1日 | 町役所に開発課、社会課、出納室、議会事務局を新設。 |
12月 | 下地島廃村になる。 | |
1964年(昭和39年) | 3月13日 | 町長選挙、崎田永起氏当選。(4月6日第6代町長就任) |
9月14日 | 崎田町長急逝に伴う町長選挙実施、白保生雄氏当選。(9月14日第7代町長就任) | |
1965年(昭和40年) | 9月1日 | 広報「町のあゆみ」創刊号発行。 |
1966年(昭和41年) | 7月1日 | 町役所社会課を民生課に改称。 |
1968年(昭和43年) | 9月8日 | 町長選挙 瀬戸弘氏当選。(9月14日第8代町長就任) |
1969年(昭和44年) | 1月1日 | 町役所に公益事業課を新設。財務課、固定資産評価室を統合し、新組織に。 |
1970年(昭和45年) | 1月20日 | 竹富町章、町歌制定。 |
1971年(昭和46年) | 7月4日 | 網取部落廃村。(9世帯、人口20人は集団で石垣島や沖縄本島へ移住) |
8月8日 | 由布部落集団移転、慶田城原に美原部落誕生。 | |
1972年(昭和47年) | 5月15日 | 日本復帰、沖縄県誕生、竹富町役所を竹富町役場に改称(人口4,515人、町役場職員65人) 民生課を町民課と福祉課に分離、公益事業課を廃止、財務課を税務課に改称。 竹富区教育委員会を竹富町教育委員会に改称。 |
5月15日 | イリオモテヤマネコ他8件、国の天然記念物に指定。 | |
9月6日 | 町長選挙、瀬戸弘氏当選。(9月14日代9代町長就任) | |
11月10日 | 竹富町文化財(有形文化財3件、記念物35件)を指定。 | |
12月18日 | 竹富町、斜里町議会、同時刻に姉妹町提携を満場一致で議決。 | |
1973年(昭和48年) | 1月10日 | 北海道斜里郡斜里町と姉妹町盟約締結。東京にて調印式(斜里町長・藤谷豊、竹富町長・瀬戸弘)。 |
4月1日 | 業務量の増加に伴い、近隣の大和会館3階に第2庁舎を新設。 | |
1975年(昭和50年) | 2月23日 | 竹富町名誉町民に初代沖縄開発庁長官山中貞則氏推挙。 |
2月23日 | 西表島から黒島、新城島への海底送水通水。 | |
4月1日 | 水道課を新設。 | |
11月26日 | 竹富町無形文化財に民謡22件、舞踊狂言25件を指定。 | |
1976年(昭和51年) | 5月18日 | 波照間空港開港式挙行、南西航空(現JTA)が波照間航空路線就航。 |
9月5日 | 町長選挙、瀬戸弘氏当選。(9月14日第10代町長就任) | |
10月28日 | 竹富島海底送水開始。 | |
1977年(昭和52年) | 5月17日 | 竹富島の種子取祭、国の重要無形文化財に指定。 |
9月1日 | 竹富町役場新庁舎取得、石垣市美崎町11番地に移転(役場第2庁舎廃止)。 | |
1978年(昭和53年) | 3月22日 | 「古見のサキシマスオウの群落」国の天然記念物に指定。 |
4月1日 | 福祉課を生活福祉課へ、経済課を農水商工課へ、開発課を開発建設課へ、出納室を会計課に改称。 | |
7月2日 | 町制施行30周年記念式典及び祝賀会開催。(竹富島) | |
10月30日 | 町営住宅白浜団地完成。 | |
1979年(昭和54年) | 1月27日 | 小浜島海底送水施設完成、通水開始。 |
1980年(昭和55年) | 1月31日 | 全国町村会より、優良町として表彰。 |
6月27日 | 竹富町総合計画基本構想決議。 | |
7月30日 | 鳩間島海底水道施設完成。通水開始。 | |
9月7日 | 町長選挙、友利哲雄氏当選。(9月14日第11代町長就任) | |
1981年(昭和56年) | 1月1日 | 企画課を新設、生活福祉課を福祉課、開発建設課を建設課、農水商工課を経済課に改称。 |
10月31日 | 竹富町離島振興総合センター完成。 | |
1982年(昭和57年) | 2月1日 | 竹富町役場波照間出張所開所。 |
4月1日 | 上原小学校、新校舎完成し移転。 | |
1983年(昭和58年) | 3月8日 | 竹富町高齢者コミュニティーセンター完成。 |
6月30日 | 町営住宅大富団地完成。 | |
7月1日 | 鳩間島海底送電により24時間送電開始。 | |
7月2日 | 町制施行35周年記念式典及び祝賀会開催。(竹富島) | |
10月2日 | 姉妹町盟約10周年記念事業の一環として友利町長を団長に12名斜里町親善訪問、竹富町物産展を開催。 | |
11月11日 | 姉妹町盟約10周年記念事業の一環として船津斜里町長一行来町、離島振興総合センターにて斜里町物産展を開催。 | |
1984年(昭和59年) | 9月2日 | 町長選挙、友利哲雄氏2期目当選。(9月14日第12代町長就任) |
1985年(昭和60年) | 4月30日 | 竹富町農村婦人の家完成。 |
6月30日 | 波照間農村集落センター完成。 | |
7月27日 | 船浮海底送電竣工。 | |
1986年(昭和61年) | 3月13日 | 町内初の信号機設置(西表島大原郵便局前交差点)。 |
7月10日 | 建設省第1回手づくり郷土賞に竹富島の赤瓦と家並受賞。 | |
1987年(昭和62年) | 4月28日 | 竹富島が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。 |
8月9日 | 第1回ぱいぬ島まつり開催。 | |
12月16日 | 竹富町役場波照間出張所を波照間公民館に移転。 | |
1988年(昭和63年) | 3月12日 | 非核平和のまち宣言。 |
4月1日 | 新城島海底送電完成、24時間送電開始。 | |
4月1日 | 情報連絡施設一部運用開始。 | |
7月2日 | 町制施行40周年記念式典及び祝賀会開催。(竹富島) | |
8月5日 | 町長選挙、友利哲雄氏当選。(9月14日第13代町長就任) | |
8月7日 | 鳩間島コミュニティーセンター落成。 |
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