町政情報

竹富町の前史

前史(永正16年~大正元年)

内容
1519年(永正16年) ・竹富島出身の西塘、首里城の石門並びに石垣を築造する。
1524年(大永4年) ・西塘、竹富大首里大屋子の頭職に命じられ竹富島に蔵元を設置、八重山を統治する(20年間)
1543年(天文12年) ・蔵元、石垣へ移転(竹富島は狭小にて良い港がないため)。
1550年(天文19年) ・西塘天命を終わる(その墓が西塘お嶽である)。
1637年(寛永14年) ・人頭税施行。
1640年(寛永17年) ・西表島に南蛮船漂着。
1648年(慶安元年) ・波照間島平田村の村民男女40人逃亡する(人頭税の重圧に堪えられず南波照間の楽園を目指して船出したと伝えられる)。
1700年(元禄13年) ・黒島から鳩間島へ寄百姓60人。
1702年(元禄15年) ・鳩間村、古見村より独立。
1703年(元禄16年) ・黒島から鳩間島へ寄百姓500人。
1711年(正徳元年) ・竹富、新城から伊原間、黒島から平久保へ移住。
1713年(正徳3年) ・波照間から白保、桃里へ寄百姓300人余。
1715年(正徳5年)

・古見村の三離橋、大枝橋の架橋竣工。

・古見の勢田に造船所を創設。

1723年(享保8年) ・上原村に会所(村学校)創立。
1726年(享保11年 ・古見村に会所創立。
1728年(享保13年) ・租納村に会所創立。
1732年(享保17年)

・極道無慈悲な『道切り』強行、移民政策始まる。

・高那村創立、小浜島より移民。

1734年(享保19年)

・南風見村創立(波照間島から400人の寄百姓)。

・竹富島から74人が移住し、屋良部村創立。

1738年(元文3年)

・古見の造船所改築。

・竹富島から150人桴海村へ移民。

1749年(寛延2年) ・古見造船所を船浦へ移転。
1755年(宝暦5年) ・崎山村創立、波照間島から280人、網取村から63人、鹿川村から93人、祖納村から10人、その他の村から13人の計459人が移民。
1768年(明和5年) ・上原村創立、慶田城村を西表村に、西表村を上原村に改称。
1771年(明和8年) ・明和大津波(津波襲来前の人口10,575人、津波襲来後9,701人)△874人。
1843年(天保14年)

・英国軍艦サマラン号西表島調査。

・黒島の多良間モーサ漂流、フカに助けられる。

1853年(嘉永6年)

・ペルリー一行の地質技術師アール・ジー・ジョーンズ西表島の石炭を発見する。

・西表島の石炭を異国人に紹介することを厳禁。

1857年(安政4年) ・間切り改正される。黒島から桴海村へ50人、上原村へ150人移民。
1860年(万延元年) ・小浜島から8人高那村へ移民。
1872年(明治5年)

・琉球王朝琉球藩となる。

・薩摩の伊地知小十郎(万年丸)西表の石炭調査で来島(八重山へ初の汽船入港)。

1873年(明治6年) ・西表島南風見にルソン島人4人漂着。
1879年(明治12年) ・琉球藩を廃して沖縄県誕生(廃藩置県)。
1885年(明治18年)

・工部省西表島石炭調査。

・三井物産、西表石炭採掘を開始。

1887年(明治20年) ・軍艦金剛、八重山測量。
1890年(明治23年)

・西表島に医師竹下態氏任命される。

・西表島に分教場創立。

1892年(明治25年) ・竹富島に分教場創立。
1893年(明治26年)

・黒島に分教場創立。

・浦内村廃村。

1894年(明治27年)

・日清戦争ぼっ発する。

・波照間島に分教場創立。

1895年(明治28年)

・日清戦争終結する。

・小浜島に分教場創立。

1896年(明治29年)

・八重山に郡制施行。

・鳩間、新城両島に分教場設立。

1900年(明治33年) ・仲間村廃村。
1902年(明治35年) ・人頭税廃止。
1904年(明治37年)

・日露開戦。

・鹿川部落廃村。

1906年(明治39年)

・竹富、黒島、小浜、西表、波照間の各分教場は独立小学校となる。

・高那村廃村。

1907年(明治40年)

・新城・鳩間の分教場は独立小学校となる。

・勅令第45号をもって沖縄県間切島は村に改正される。

1908年(明治41年) ・沖縄県及嶼町村制に基づく、特別町村制に基づく、特別町村制で八重山村が誕生(勅令第46号)。
1909年(明治42年) ・上原村廃村。
1911年(明治44年) ・米国軍艦アルバーニ号、西表島西部の舟浮港に入港。
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